うちの近くの公園は、区外からも人が訪れる梅の名所で、毎年「梅まつり」が催される。
紅白の梅が咲き揃う園内の茶席は、琴の音が響き振袖姿が行き来して華やかだ。
今年は「梅まつり」が中止になってゆっくり散歩できたが、静かで香り高い梅林が妙に寂しく感じられた。
◆再発見
低迷・閉塞・波乱といわれた1年を過ぎても、まだ先行きが見えにくい日々が続いている。気が晴れないことだ。
しかし私はちょっと日本を見直している。
いまだ渦中だし、明日は私だって、どうなるかわからないのだけれど。
再起不能な打撃を受けた人を思うと、あまり大きな声では言えないが、ピンチをチャンスに変えたこともあったのではないかと思っている。
撤退・縮小・廃業など暗いニュースを多く耳にしたが、こうした世の中にならなければ見過ごされていた、さまざまなアイディアや工夫が、
存在感を帯びてきたように思う。窮屈な社会で新たな商機を見つけた企業も多い。
これは、ある一定の地域や期間、特定の人々に起きた変化ではなく、全国一律に、平等な災厄による社会変容だから可能になったことなのかも知れない。
◆必然
私は、昨年の4月からテレワークになった。
もともと数年前までフリーランスで在宅の仕事だったせいか、違和感なく仕事に入れた。むしろ自分の居場所に戻って、私の仕事効率は上がったと思う。しかし初めての在宅勤務に戸惑う人も少なくないだろう。「働き方改革」の提言当初からいわれていたにも関わらず、一向に浸透しなかったリモートワークがここにきて急増している。オンラインによる授業や診療も同様だ。
やはり、人間は差し迫った必要がないと動きにくいのかな。初めてのテレワークも、次第に知恵や工夫によって使い勝手がよくなる。慣れてしまえば、十分機能するニューノーマルになる。リモートワークも今回の社会変容を機に、大きく進展した一例だと思う。何でも普及するには、何らかの外圧が必要なのかも知れない。社会変容によって生まれる新たな課題や不都合があっても、進歩につながる変化として受け入れてみることが大事なのではないか。
◆希求
今の社会変容を見て、かつて脚の手術で長い入院をした頃を思い出した。 痛みで思うように動けなくて凹んだ時期、何を考えていたかなぁ。
病院の窓から外を見て、早くここから出て仕事に戻りたいと涙が出た。考えたのは、短期目標として回復の他にミッションは無い、ということ。
毎日自分に言い聞かせた。
受難の時は自分に集中しようと思ったが、肝心の自分の筋力が歯がゆくて精神的にも沈んだ。
焦らず休まず、辛いリハビリは社会復帰に必要な勉強の時期だと思った。
この体験を栄養にして、退院したら今まで以上の健脚を必ず手に入れる、と胸に誓っていた。
◆機会
社会活動が低調な隙に、ビジネス関連の勉強を続ける新人もいるだろう。
基本の思考方法、ビジネス文書、伝え方、財務の見方、チームビルディングなど学ぶことは膨大にある。
中堅だったらリーダーシップや企画力など、またはビジネスに直結しないリベラルアーツも楽しそう。
受難の時期も長くなれば勉強時間が増えて、変化に対応する新しいことを学ぶチャンスになる。
状況に惑わされてはいけない。気持ちがはやってきた。今自分がするべきことをしよう。
勉強して考えて、より成長しよう。やがて変わる季節のために備えるチャンスだ。
2021年 2月 10日 (水) 銀子