雪が解けて川になって流れていく頃。間もなく啓蟄、水は温み風も東に変わる。梅もほころび、あちこちの花壇に春らしい彩が増えてきて心楽しい。
長い間、砂遊びや苗を植える小さなものをシャベル、雪かきや穴を掘る大きなものをスコップだと思っていた。東と西では、または正しくは逆だそうだが、今さらイメージを変えられない。
子供の頃、左官職に憧れたことがあった。叔父の家の玄関タタキに鉄平石を敷く工事を見たからだった。玄関内を洗った水が片隅の排水孔に流れ集まるように、
不定形の石と石の間を微妙な勾配をつけて張っていく。眼と指先を頼りに、大小のコテが動く様に感動した。家に帰って、レンガで郵便ポストを作ってみたが、すぐに崩れてしまった。
セメントの分量や混ぜ方が悪かったらしい。(かっこうは悪いが何とか作り直して、実家で長年使っていた)職人はすごい、職人になりたいと思った。
それからは左官・大工・木工などモノづくりの道具に惹かれた。
いや農業漁業林業でも工業でも何かを生み出す仕事には、必ず最適に考えられた道具があって、使い勝手良く手入れされている。どれにも理屈があって魅力的だ。
今でも私はホームセンターで、美しい道具類を見て感嘆とともに際限なく時間を過ごせる。
◆私の道具
その後、私は広告や編集など読み書きの仕事でこれまでを通してきた。他人は知的労働だとか、クリエイティブだとかいうが、私には実感がない。
むしろ、(一人前には程遠いけれど)肉体労働だし職人の仕事だと思っている。
かつて広告コピーの先生が言った。「君たちの仕事は泥棒にも盗めない、頭の中の仕事です。鉛筆一本晒に巻いて、どんな所でも仕事ができます」
それよりかなり前、「包丁一本晒に巻いて~」という渡り板前職人の歌が流行ったのだ。それに当時のライターは、シャープペンシルよりおもに2Bの鉛筆で仕事をしていたので、受講生たちの胸に響いた。
それ以来私の仕事道具は「鉛筆」になった。(今はシャープペンやPC利用だが)
◆歯科医師の道具
歯科医の作業台は縮寸した工具が並んでいるようだ。愛らしく思えるのは小さな薬瓶だけで、その他の道具は自分に使われるかと思うと恐ろしくて正視できない。
ある日、治療中に歯科医が小さな声で「ボンドください」とアシスタントに言った。思わず私が「えっ?」となると、先生はあわてて「アッ、ボンドといっても医療用ですよ」と言ってくれた。
(あはは、わかっています、先生。ただ何となく、面白かっただけ)
その後、注意していると、ノギスだのディスペンサーだのカービングだの型だの。(やっぱり工事しているんだ)
科学技術の進歩で、100年前よりも患者のストレスは大きく軽減されているに違いない。ありがたいことだと思って、おとなしく修復工事に耐えよう。
◆生きる道具
さて、ビジネスパーソンを象徴する道具とは何だろう。一括りにはできない幅広いビジネスの世界には、さまざまな仕事に人生を託す人がいる。 多分誰もがアイデンティティにつながる、それぞれの自負や価値観を象徴する道具を持っているのだろう。 昔、路上生活者の荷物の上に、古びた『木村・相良(編纂)のドイツ語辞書』がのっているのを見て、その人となりに興味がわいたことがある。
世の中には、学歴やスキル・資産や権力・肩書も人脈も役に立たない事態が起きることがある。 火の中を走るとき、濁った急流を渡るとき、果てない瓦礫に倒れるとき、すべての道具を捨てて身一つで生き延びるために何が必要だろう。天変地異だけではない。 平和に見える日常の中でも、心身の存続に迫る危機は頻繁に起きている。
生業は何であっても、すべての人あるいはすべての組織に共通する最後の道具とは、各人各組織がもつセンサーかもしれないと私は思う。 今何が起きているのか、これから何が起きるのか、風はどう動くのか、世の中を広く感じとるセンサーが大事なのではないかと考える。 もしも命を分ける最後の道具がセンサーなら、やはり手入れを怠ってはいけないと自戒しよう。
2022年2月22日 (火) 銀子