春の陽光は道を明るく照らし、木々の緑も家々の花も色鮮やかになってきた。まだ着馴染まない新しい服の新入生や新社会人は、街を華やかにしているようだ。マーケットで食材を迷いながら買う姿も初々しく、新しい暮らしの始まりに陰ながらエールを送りたい。
■一人ぼっち
私もまた新しい暮らしを始めるために、勇気をもって引っ越した。が、根性では劣化した体力を補えないことが身に染みた。まだ開けていない段ボールが積んであるせいか、憂鬱感・疲労感に襲われている。祖父と父は早く亡くなり、他の家族も既に亡くして一人の快適さは身についていたのだが、今回ばかりは一人ぼっちの心細さに負けそうになった。
若くない友達も若い友人も手伝いに来てくれたが、力の入らない指先が腫れて痛いことや、荷物の重みで足腰が動かない個人的な悩みを誰も分からないからだ。その上、業者やネットのトラブル、不測の出費や行き違いなど。本音の話が通じる相手・実状を共感できる人がいないと、社会の中で人間はこんなに孤独なのか、と改めて感じた。唯一の光明はネット環境が回復して仕事に戻れたこと。個人的な付き合いは無くても、職場の何気ない日常にどれほど癒されていたか再認識した。
■孤独をどう受け取るか
孤独を起因とする若年層を含めた自殺者が増加し、心的疾病の治療を受ける人も増えている。政府はパンデミックで孤独や孤立が深刻化し社会問題になっていることを懸念して、内閣官房に「孤独・孤立対策担当室※」を設置して、対策支援をしている。
しかし、本当はパンデミックだけが問題ではないと思う。もちろん、(マスクで)顔も定かではない希薄な人間関係のままに動きを制限されて学生生活を終え、社会人になってしまった多くの若者の不運を気の毒に思う。しかしパンデミック以前に、個人の傾向も影響するのではないか。パンデミックに関わらず、濃密な人間関係を強いられることを苦痛に感じる人々もいるだろう。部下育成に悪影響があるとされるマイクロマネジメントを親切で温かいと感じる人もいるし、過干渉の管理に心身共にダメージを受ける人もいる。幼い子供たちは別としても、少なくともパンデミック禍では誰でも、その時に置かれた状況や環境をどれだけ自分の栄養に転換できるかで、非生産的な体験なのか貴重な体験なのかに分かれるのではないか。
■孤独は悪くない機会
現代人が孤独を感じるのは「テクノロジーの進歩で人間の活動域が広がり村落や職場のような共同体に所属する必要がなくなると、分散した様々なコミュニティに一時的に所属することが可能になって、人間関係は広大なネットワークの中に溶け込み希薄化する」からだとする意見もある。
なるほどそうかも知れないが、私には時代や状況は変わっても孤独を感じることこそ人間的な精神活動、感謝や反省・向上や忍耐の大事な要になるように思える。そもそも人間は(家族に囲まれていても)孤独を覚悟の上で生まれてきているように感じるし、孤独に負けずに自分を生きることが命題だとも考える。だから無条件で愛してくれる家族はありがたく、率直に叱ってくれる他人はありがたい。絶海の孤島に一人で暮らすような孤独は自身の勘違いかも知れない。
■世界は広く面白い
時には、私も苛められ・無視され・貶められ・辱められ・騙される。悔しい・寂しい・悲しい・辛い・許せない。だが世界は広く面白い。知らないこと知りたいことがいっぱいあって、閉じこもっている時間がもったいない。孤独は思うほど悪いことじゃない。不意の荒天で知った通りすがりの人の優しさや旅先で聞いた老人の深い話など、一人だからこそ遭遇する素敵なことも多い。傷の痛みは痛みとして記憶に残るが。打算的な私は、人間の一生たかだか100年ほど、ちゃんと笑ってちゃんと泣いて、いい時も悪い時も、ちゃんと面白がって自分を見ておいた方がいい、ちゃんと孤独を味わった方がいいと思ってしまう。独り善がりで気楽過ぎるだろうか。
さて、段ボールを片付ける前に、ボッチボッチ何か作って食べようかな。
2023年4月24日 (月) 銀子
※2021年2月19日発足 内閣官房「孤独・孤立対策担当室」