連載「ビジネスに活かすリーダーシップ」の第3回テーマは、「経営戦略論に見るカリスマ不要論」です。経営戦略論においても、カリスマ性リーダーシップが有効な場合は稀なようです。
『ビジネスに活かすリーダーシップ』第3回 経営戦略論に見るカリスマ不要論
著者:インソースマネジメント研究チーム
1.経営戦略論においても、カリスマ性リーダーシップは不要とされていた。
2.カリスマ的指導者の成功は、他の成功要因に因ることがほとんど。
- ■経営戦略論とリーダーシップ
- リーダーシップは経営戦略論の中でもしばしば議論されます。前回、ドラッカーが全体主義への反動を起点にカリスマ的リーダーは不要であるとの帰結を得たこと、それが未来を見据えた組織でも正しいと考えていたことを紹介しました。ドラッカーや、「組織は戦略に従う」の命題で有名なA・チャンドラーなどが活躍した1950~70年代、経営戦略論はまだ黎明期にあったといえます。今回は、その後に続く経営戦略論の代表的な研究者・論者のリーダーシップに関する見解を基に考えます。
- ■「カリスマ的リーダーシップ」×「悪い戦略」
- M・ポーターとともに経営戦略論の学問的地位向上に大きく貢献したR・ルメルトは、近著『良い戦略、悪い戦略』の前半で「カリスマの研究」を、多くの「悪い戦略」がはびこる理由の一つとしています。「この種の研究における重要なイノベーションは、カリスマ的リーダーシップの公式が編み出されたことだ」とルメルトは皮肉りつつ、こうした図式化が高学歴者の間で受けたことも重要な契機であると指摘しています。さらに、「戦略プランニング」が大量発生させた「ビジョン」、「ミッション」、「戦略」といった美辞麗句のオンパレードは「良い戦略」策定には重大な障害でしかないと酷評しています。
- 強力なリーダーは戦略遂行や自己犠牲を組織や人に強制しがちです。また、暴走する組織のメンバーがリーダーに心酔し、「悪い戦略」に基づいた行動が実行されると、最悪、組織は破滅へと突き進んでしまいます。本書では13世紀の少年十字軍などの悲劇的なケースを挙げています。
- ■ビジョナリー・カンパニーでもカリスマは不要
- ルメルトのような経営学者だけではなく、経営コンサルタントが書いた『ビジョナリー・カンパニー』でも、「偉大なカリスマ」はかなりの不評を買っており、数十箇所にわたり「カリスマ的指導者」の弊害などについて辛辣に批判されています。「ビジョナリー・カンパニー」という、ある意味、曖昧模糊とした定義のなかで、「超がつくほど優れた企業とはなにか」についての共通項抽出を試みたものですから、人よりも組織としての企業にフォーカスしています。調査対象となった企業に対し、比較対象となる「イマイチな企業」を挙げ、そこでも「カリスマ的指導者」が同じように存在することを指摘している点に注目するべきでしょう。超優良企業とイマイチ企業のいずれにおいても、カリスマは端から不要であると棄却される運命にあるのです。
- ■カリスマよりも「良い戦略」
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政治家や宗教家には有効とされる場合もあるリーダーシップも、歴史を振り返り、社会的影響を良く観察すると、あまり芳しくない印象を受けます。ガンジーの例などを考慮すると、一貫した行動の下、カリスマ性と高い理想を備え、「良い戦略」が加わった場合、稀にカリスマ的リーダーシップが有効な場合もあることがわかります。ただ、それ以外の成功要因を欠いた指導者の成功は稀で、その存在のみでは組織にとってハイリスク・ハイリターンの爆弾になる可能性が高いということでしょう。
- 一方、世の中では「カリスマ的指導者」と思い込まれているリーダーが少なくありません。組織内のメンバーがその指導者にカリスマ性を一方的に感じている場合もありますが、このような経営者の成功は他の成功要因に因ることがほとんどです。むしろ、「良い戦略」を策定し、自らの組織をメンバーの当事者意識が高い自律分散型に導くことにおいて、天才的な実行力があると考えるべきではないでしょうか。