9月16日「敬老の日」。弱きを助ける福祉の国、日本の休日である。
「敬老の日」の発祥は、明確なところでは1947年兵庫県多可郡野間谷村が「老人を大事にして、村づくりに老人の知恵を借りよう」との主旨で敬老会を開き、話を聞いたことから始まった。聖徳太子による老人施設「悲田院」の建立に因むとの説もある。事実なら、ここでも太子は「豊聡耳(とよさとみみ)」で多くの老人の話を聞き取ったことだろう。
世の中で「傾聴」という言葉を耳にすることが珍しくなくなってきた。
十数年前、私は読み書きに困難を抱える人のサポート「読み書き情報支援員」の有償ボランティアをしていて、視覚障がい者や学習障がい者の本音を引き出すのに度々もどかしい思いをしていた。そこで、より良い聞き取りのために臨床心理カウンセラー主宰の勉強会で、心理学カウンセリング技法の基本、「傾聴」の訓練を受けることにした。
傾聴とは、一言でいえば「耳を傾けて真摯に話を聴くこと」。カウンセリング技法としての目的は「本人が自ら問題を整理・理解」するためのサポートをすることとされる。
傾聴訓練は通常、クライエント役(相談者。ビジネスの顧客を表すクライアントとは区別される)、カウンセラー役(傾聴者)、オブザーバー役(観察者)の3人一組で行う。
クライエント役は好きな話題を好きに話す。カウンセラー役は真摯に「傾聴」する。オブザーバー役は、同席していないかのように黙って二人の観察に徹する。
カウンセラー役は、基本の「オウム返し」「うなづき」などのほか、表情・声・態度・ふるまい全般をチェックされる。傾聴の大原則、自発的な整理・理解を促すために「同調しないで共感する」「意見評価はしない」などを守れているか、クライエントとのトラブルに対処できるかなど、他にも細かく評価される。訓練は役割やメンバーを変えながら繰り返され、何度も先生の指摘・指導を受ける。
通常、クライエント役は、適切なうなづき・真摯な視線・穏やかな共感などを得ると、落ち着いて自発的に話がしやすい。逆に、チラッと時計に視線を移すなど、相手のちょっとした行動で気持ちが波立ち、話そうとする意欲を一瞬で奪われてしまう。
私の場合、「せっかち」な性格が、相手に対する細かな動作に表れていると指摘された。例えば、相手が話そうとすると「うんうん、分かる分かる、そうねそうね」とばかりに、うなずきが早く大きくなる、目を見開いて「それで?」と次の発言を促すような表情になる、など。こちらは無意識の反応でも、クライエントが心を閉ざすきっかけになることもある。傾聴は、しっかり意識しなければできない。大変疲れる作業なのだ。
こうした訓練は重ねるだけ勉強になるが、なかなか日常的には身につかない。成長がないのかと気にしていたら、「それでいいんですよ。傾聴は日常とは離れた特定の時間を、特定の人に集中して行うんですから」と先生に言われて、少しホッとした。
「読み書き情報支援員」の活動からは離れたが、時々偶然に「傾聴」の機会がある。
例えば、こんなことがあった。隣に座った母子が言い争って子供が興奮して泣き、暴れそうだった。私の顔を見ていたので「どうしたの?お話して」とゆっくり言って待っているとポツポツ話し出した。オウム返しをしながら聞いていると、次第に落ち着いてきて泣き止んだ。母子が穏やかになって立ち去った時には少し嬉しかった。
ほんの数分間だが、特定の一人の人間に集中して耳を傾ける経験は時間を濃密にして、私にささやかな手応えと喜びをもたらす。一つひとつは小さくても、こうした真摯な時間が降り積もって、少しずつ私の一部になっていくのも傾聴訓練の作用だと感じる。
広く多くを聞くことも大切だが、聖徳太子ならぬ身には、1人にじっくり耳を傾けることも劣らず大きな勉強になる。
2019年 9月 11日 (水) 銀子