いまだに“世界に冠たる『日本的経営』”という意識が残滓として企業で働く人びとの中に残っているのではないでしょうか。
20年前までの「終身雇用、年功序列、企業内組合」=“三種の神器”で総称されてきた『日本的経営』の意識要素は、実は日本社会をも規定してしまっていたと思います。
その結果、各企業の「評価制度」や「賃金制度」も企業規模の大小に関わりなく“高度成長”という「パイの拡大」が前提となりました。ある意味で牧歌的であったのかもしれません。
今日、企業が等しく成長できるという社会全体の「パイの拡大」はあり得ません。しかし“業績概念”を曖昧にしたままで、“業績”との連動性を重視しない「評価制度」や「賃金制度」の名残が随所に存在しているのも現実です。
企業が成長していくためにも、あくまで適正な評価実践を行っていかなければ、人材の流出は否めません。「評価制度」の大前提は、“何”を評価するかであり、その「評価」すべき対象を明確にする必要があります。さもなければ「評価」は恣意的なものとなってしまうものです。
「年功」による「評価」が主流の時代には、「社員の業務遂行能力は歳を経るごとに経験が積まれていくものである」という暗黙の了解がありました。その前提に基づいて処遇や報酬が決められてきたため、「評価誤差」が生まれる温床ともなっていました。
「評価誤差」とは、「ハロー効果」「寛大化傾向」「中心化傾向」による評価者によるバラつきです。
「ハロー効果」とは、ひとつ良いことがあるとそのことに引っ張られ、全てがよく見える傾向です。これでは全体的印象で判断することになり、部分的特性や能力を正しく判断できません。「寛大化傾向」とは、評価する側の性格、自信の欠如や観察不足、抽象的な評価基準等により評価に対して甘さが生じることです。
「中心化傾向」とは、例えば5段階評価などで常に「3」をつけてしまうなどのように評価対象者に対して「普通」という評価をし過ぎる傾向です。
「評価誤差」は評価基準の曖昧さと評価者自身の「評価」への無関心によって生じるものです。従って、企業は社員に何を求め、何を期待し、それに応えている判断基準を明確にする必要があります。この「基準」が曖昧であるならば、どのような評価システムを導入したとしても、結果的には評価者による「情意」が横行することになります。
以下に掲げるのは、極めて単純ですが「評価の基準」となるべき観点です。
賃金とは年齢や勤続年数、あるいは将来的な「期待値としての能力」に対して支払われるものではないはずです。あくまでも「業績に連動するものである」という意識を徹底化していくことが重要であると思います。一昔前までは金融機関から「賞与資金を借りる」などという企業が散見されました。こうした企業は決して成長が望めないと思います。
さらに家族構成などの個別的な属人性要素の加味は、制度を複雑化させると同時に恣意性の温床となります。従って、賃金は個人の「仕事の内容と結果」に対して支払うものであるという点を明確にする必要があります。
当然「仕事の内容」には難易度が存在します。そこで、同じ難易度で同じ仕事内容を行う社員は、同一の報酬でなければならないはずです。
また、会社として賃金制度の機能を明確にしておくことも必要です。
以下に「賃金制度が担うべき機能」を整理してみました。
企業が成長していくためには、そこに働く人びとに対して年齢に関わりなく、あくまでも個々の業務遂行における「能力」、それによって生み出される「実績」と「成果」を明確な評価基準とすることです。もちろん会社として適時・適確なフィードバックを展開し、「評価」に見合った「インセンティブ」や「ベネフィット」を含む賃金制度を社員に提示していくのが重要であると考えます。
◆本間 次郎◆
株式会社ノイエ・ファーネ 代表取締役
1954年生まれ。大学在学中より出版・編集業務に携わり、主に労働経済関係をフィールドとし取材・執筆、編集業務に携わる。1992年から中小企業経営 者向け経営専門誌の編集および、教育・研修ツール(冊子媒体、ビデオテープ)等の作成、人材の教育・育成に関する各種オープンセミナー・インハウスセミ ナー企画の立案・実施、人材開発事業・人事コンサルティング業務に従事。
2010年11月に『人と企業組織が互いに「広い視野」「柔軟な思考」「健全な判断」に基づいて行動し、最適な働きの場を創り出していく協働に貢献する』を使命とする株式会社ノイエ・ファーネを設立。