昨今、「ナレッジマネジメント」が組織の持続的な活動のためには不可欠になってきました。 仕事を取り巻く市場や組織が激しく変化する時代、企業間競争を勝ち抜くためには、他社より先に新たなナレッジ(知識・ノウハウ)を生み出さなければならないからです。また、人材の流動化により、業務に必要なナレッジが社内に残らなくなるリスクが意識されるようになったことも大きな要因です。
本記事では、ナレッジマネジメントの意味や成り立った背景をふまえ、暗黙知と形式知のプロセス、ツールとしてのマニュアル化のポイント、各社における事例などを解説してまいります。
ナレッジマネジメントとは ~理論的・実務的背景と現代的意義
(1)ナレッジマネジメントとは
ナレッジマネジメント(Knowledge Management)とは、企業において、個人が持っている暗黙知(ベテランの経験知識やノウハウなど)を企業内で共有するための管理手法、あるいは経営手法です。これにより新たなイノベーションを促し、全体的な生産性の向上、あるいは業務改善につなげることができます。なお、日本語訳として、コンテクスト(文脈)次第ですが、知識管理あるいは知識経営という意味で使われることがあります。
ニュアンス的には、この場における「ナレッジ」は、知識というよりも知恵に近いものと理解したほうがよいかもしれません。
(2)ナレッジマネジメント登場の理論的背景 ~Japan as No.1の理論
実は、ナレッジマネジメントは日本発の経営理論です。1990年代に野中郁次郎氏らが発表しました。
Japan as No.1と言われた1980年代、「なぜ日本企業は成功したのだろうか?」という問いに対する説明として提唱されたものです。日本の企業、特にモノづくりに長けた製造業の企業の秘訣は、どこにあるのか?欧米人には謎とされていました。
これに対して、日本の企業では「組織的知識創造」の技能・技術を持ち合わせたのがその成功要因だと野中氏らは言っています。暗黙知から形式知への転換が日本企業の成功要因であったと説明し、そこで理論的なナレッジマネジメントの枠組み(フレームワーク)として有名になったのがSECI(セキ)モデルです。
(3)ナレッジマネジメント登場の実務的背景 ~団塊の世代からの伝承
その後、2000年代後半になり、日本企業に切実な問題が持ち上がりました。
団塊の世代の定年です。
これに伴い、モノづくりのノウハウや品質維持などの知識伝承が問題になってきたわけです。後ほど述べる「暗黙知」を言語化し「形式知」にすることで、業務に必要なナレッジを継承しようとする、実務上の要請が高まってきました。
これが上手くいったかどうかは、評価の分かれるところです。「失われた30年」という立場に立てば、知識伝承はできたかもしれませんが、知識創造による新たなイノベーションを促し、全体的な生産性を向上させることはできなかったと考えられます。
終身雇用制度が崩壊し雇用形態の多様化などが進んだ日本では、伝統的な暗黙知の自然伝承は困難だったのかもしれません。
(4)ナレッジマネジメントの現代的意義 ~属人化リスクの防止
知識伝承の議論を推し進めると、ナレッジマネジメントは、業務の属人化を防ぐ意味を持ちます。
属人化には、業務へのチェックが働かないため不正の温床となるリスクがあります。また、組織として知識や技術が伝承されないため、組織の弱体化を招くリスクもあります。
日常的にも、特定の人しか対応できない業務が存在していると、トラブルが発生したときの対応で困ることが出てきます。
そこで、組織的なナレッジマネジメントを意識することが大切になります。
個人の知識や技術など、ナレッジを組織として可視化したうえで共有化することが必要です。この結果、権限委譲などにより属人的な業務が回避され、組織における業務の最適化を図ることができ、生産性向上につながります。
これが、ナレッジマネジメントの実務における現代的な意義です。
SECIモデル ~暗黙知と形式知
(1)暗黙知と形式知
企業におけるナレッジは、個人が持っている言語化されていない暗黙知(ベテランの経験知識やノウハウなど)と、言語化した形式知の、2種類があります。日本企業は、この暗黙知を形式知に変えて企業内で共有し、新たなナレッジやイノベーションを生み出すのが上手だというのが特徴でした。
仕事の手順やコツを可視化(見える化)するということは、ノウハウ(暗黙知)を言語化(形式知化)することと言い換えることができます。
例えば、野球で言えば、「ガーンといけ」「バーンといけ」と言うのではなく、「どうしたらヒットが打てるか」「グリップの位置はこうするといい」といった、自らのノウハウ(暗黙知)を言語化(形式知化)して伝えるやり方です。
(2)SECIモデルの特徴
SECI(セキ)モデルは、新たなナレッジやイノベーションを生み出すプロセスを示したものです。
西洋哲学では、伝統的に、知識は個人に依存するとされています。
これに対して、西洋哲学的な視点から離れ、組織における各人が持つ知識の絶え間ない交換と実践によって、知識の再生産を促進しようとするのが、SECIモデルの最大の特徴です。「組織的知識創造」という用語が、その特徴を示しています。
(3)SECIモデルのプロセス
SECIモデルは、以下のようなプロセスが循環するモデルです。
- ①共通体験などによって、暗黙知を獲得・伝達する
「共同化(Socialization)」 - ②得られた暗黙知を共有できるよう形式知に変換する
「表出化(Externalization)」 - ③形式知同士を組み合わせて新たな形式知を創造する
「連結化(Combination)」 - ④利用可能となった形式知を基に、個人が実践を行い、その知識を体得する
「内面化(Internalization)」
この4つのプロセスを回すことで、日本企業は新たなナレッジを創造してきたというわけです。
(4)SECIモデルの具体例1 ~製薬会社の例
SECIモデルの具体例として、よく取り上げられる製薬会社の例を説明します。
この会社は、患者を最重視する考え方を実践するものとして、「業務時間の1%を患者とともに過ごす」こととしています。患者と過ごすことにより得た暗黙知から組織としての新しい価値を生み出すためにSECIモデルを応用しています。
次のようなプロセスで運用します。
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①共同化
患者のもとに赴いた従業員が、患者や家族と過ごすことを通じて漠然とした課題を感じ取り、課題を会社に持ち帰って組織内で議論し、共有します。
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②表出化
課題について議論した結果を言語化します。
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③連結化
課題に対して、他の部署も巻き込みながら施策を検討し、それらを再び現場で実践します。
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④内面化
そして、実践の中で得た知見を暗黙知として持ち帰ります。
(5)SECIモデルの具体例2 ~トイレタリー・化粧品企業の例
次に、SECIモデルの具体例として、PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Action)をSECIモデルに取り込んだトイレタリー・化粧品企業について紹介します。
この会社は、経営トップ主導のもと、「SAPS(サップス)」と呼ばれるマネジメントモデルを実施しています。
各自が次のようなサイクルを週次で回します。
- ①週の行動予定を立てる(Schedule)
- ②実行する(Action)
- ③効果を省察して反省点や改善点を抽出する(Performance)
- ④次週の計画を立てる(Schedule)
これをSECIモデルの観点から見ると、次のプロセスになります。
-
①共同化
週の初めの計画を立てる会議においてメンバーとフェイス・トゥ・フェイスで対話し、場を共有しながら互いに暗黙知を共有することで、組織の暗黙知にする。
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②表出化
現場での計画の実行を通して得た暗黙知をもとに週の後半、翌週に向けた行動計画の仮説を立て、暗黙知を形式知化する。
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③連結化
翌週の初めの会議ではその行動計画に対して、周囲から多様な知識や知恵が加えられ、磨き上げられていく。会議は共同化の場であると同時に、組織のメンバーたちの実践知が上下左右に結びつく貴重な連結化の場になっている。
-
④内面化
週次サイクルを回すなかで実践知が血肉化する。
マニュアル化の意味 ~暗黙知の言語化
(1)ナレッジマネジメントのツール ~マニュアルによる形式知化
SECIモデルの「表出化」における、暗黙知を形式知化にする方法の一つとしては、マニュアル化が代表的な手法です。
マニュアルは、もともと仕事の仕組み・手順の標準化を行うためのものでしたが、暗黙知を可視化(見える化)して形式知にする役割も担っています。特に、就業形態の異なる人々で組織的に業務をスムーズに進めなければならない昨今、改めて着目されています。
マニュアルによって、仕事の仕組みを行動レベルに分解して標準化することで、仕事の品質が維持されます。また、標準的な仕事の仕組み・手順があれば、改善する対象が分かりやすくなり、業務改善や生産性向上のきっかけになります。加えて、ミスやトラブルの事例が書き込まれたマニュアル、手順の改定履歴とその理由が掲載されているマニュアルなどは、模範的なものと言えるでしょう。
それとともに、「なぜこのような仕事が必要とされ、なぜこのような仕事の流れになっているか」という記述がナレッジマネジメントとしてはポイントになります。「この仕事は、全体の仕事の中でどのような位置づけになっているか」を知ると知らないとでは、その取り組み姿勢が違ってきます。「神は細部に宿る」ではないですが、仕事の仕組み・手順が細部まで明記されたマニュアルには、考え方の軸(=企業の理念や価値観)を見て感じることができるかもしれません。
(2)マニュアル作成の秘技 ~ベテランの"虎の巻"を活かす
実は、ベテランの机の引き出しには"虎の巻"のようなものが眠っているものです。ただし、残念ながら当の本人以外は解読不能なことが少なくありません。そこで、これをみんなに分かるように共有化すると、素晴らしいマニュアルになります。
往々にしてベテランの知恵は、作業量が多い、もしくは複雑なものを対象にしていることが多く、チェックリストに組み込むことで高い効果を発揮します。人は機械的にたくさんのことをチェックしていくのは苦手です。例えば10個のチェック箇所があるなら、その中で最低限欠かせない3個を見極められることが大事です。このときにこそ、ベテランの知恵が役に立ちます。
さらに、ベテランの積み重ねてきた経験則を明文化することで、起こりやすいミスが発生した場合にどう救済するか、というところまで事前に把握しておくことが可能になります。つまり「リスクへの予防策」も身につくということです
(3)究極のマニュアル企業の例 ~絶えず更新
日本企業でマニュアルを重視している雑貨小売業の会社があります。
2,000ページ余りの「店舗運営マニュアル」と約6,600ページの「業務用マニュアル」と、その量も驚きですが、毎月更新し最新版にしていると言います。お客さまからの声を記載したシートや、改善提案などもマニュアルに吸収されるとのことです。マニュアルは社員全体で作るもの、という意識のある会社であり、全員が作ることで個人の暗黙知が組織の形式知へと変換され共有化されます。
もっとも、現場だけで作ったら費用対効果が悪いマニュアルになるかもしれませんし、本部だけで作ったら現場では役に立たないマニュアルになるおそれがあります。そこで、この両者の中間的な立場にいるエリアマネージャーも関わることで、バランスの良いマニュアルとして結実するそうです。
また、マニュアルの記述も具体的です。
例えば、「整然と並べる」などと記述するのではなく、「タグのついている面を正面に向け、商品の向き、ライン、間隔をそろえる」と記述し、それらを写真入りで説明します。
あるいは、良い例と悪い例をマニュアル内で紹介して比較することもあります。
この取り組みによるメリットは、以下のような点が挙げられます。
- 仕事の仕組み、手順、リスク対策が標準化、共有化される
- 仕事の本質が見えるようになり、サービス改善のきっかけになる
- 仕事の仕組み、手順、リスク対策の中に、会社の考え方の軸(企業理念や価値観)が浸透する
- ひいては、会社のブランド形成につながる
<参考>使いやすいマニュアルの6つのポイント
- ①仕事の全体像が俯瞰(ふかん)できること
- ②仕事において実現すべき事が分かるように「考え方の軸」が示されていること
- ③何ができたら"○(マル)"か「到達目標」が数値や明白な行動レベルで示されていること
- ④実務の確認点が「チェックリスト」で示されていること
- ⑤用語の意味、ノウハウ・コツなど、一見推測しかねる事柄も記載されていること
- ⑥クレーム・トラブルなど「事例」を記載し、あわせて理解できるように「見える化」されていること
3つの暗黙知 ~言語化できないナレッジ、明示されないナレッジ
暗黙知は3種類に分類できます。今まで説明したのは「まだ言語化されていないナレッジ」です。この他に、「言語化が困難なナレッジ」、「言語化可能であるが一般には明示されないナレッジ」があります。
(1)言語化が困難なナレッジ ~ポランニーの暗黙知
野中氏が提唱した暗黙知は、「まだ言語化されていないナレッジ」です。
しかし、暗黙知(Tacit Knowledge)とは本来、「言語化が困難なナレッジ」のことを言います。元祖暗黙知の提唱者であるハンガリー出身のマイケル・ポランニーは、「口に出して語れる以上のことをわれわれは、知ることができる」と説明しています。
例えば、知人の顔を瞬時に判断できるのは、言葉にすることができないナレッジがあるからでしょう。あるいは、自転車を乗りこなす技術は、言葉では説明するのは困難です。
仕事で言えば、優れた職人は100分の1ミリの精度で金型を作ります。このような匠の技は言葉では説明できないと言われています。暗黙知は我々が経験を通して身体的に獲得した「身体知」でもあるわけです。身体知をいかに人に伝達させるかは、非常に困難な問題です。このような暗黙知は直接経験を共有した者同士しか共有できないのが特徴です。
(2)明示されないナレッジ ~口伝
ポランニーが提唱する元祖暗黙知とは別に、口伝とか口承というものもあります。
例えば、華道や茶道などではノウハウの流出をおそれ、核心の部分は文字化せずに限定された人々に言葉として伝えています。言語化できるけれどもあえて言語として明示しないというのも、広い意味で暗黙知です。そういったものは、ポランニーの暗黙知と、野中氏の暗黙知の、ちょうど中間にあたると言えるでしょう。
今後のナレッジマネジメント ~AIでの展開と知識創造経営
(1)AIでのナレッジマネジメント ~ディープラーニング
一般的に、ナレッジの共有と活用に焦点をあてたシステムを、ナレッジマネジメント・システムと呼んでいます。社員のスケジュールやプロジェクトなどを共有したり、社員が提出する日報、報告書、企画書といった文書を、他の社員とともに共有するもので、いわゆるグループウェアのシステム、またはソフトのことを指します。けっして、厳密な意味でのナレッジマネジメントをシステム化したものではありません。組織として情報を共有する程度のものです。もっとも、情報過多な時代においては、情報の共有化が図られるだけでも、効率化につながります。
これに対して、昨今のディープラーニング(深層学習)によるAI(人工頭脳)の流れは、言語化不可能な暗黙知でさえも形式知に転換するツールとして期待されています。
先ほど説明した、知人の顔を瞬時に判断するようなケースは、画像認識技術とディープラーニングを活用した本人確認というかたちで実現しています。2012年、ディープラーニングという「教師なし学習」で学習したAIが、猫を自己認識できるようになりました。「Googleの猫」として知られています。
この流れの先では、優れた職人の道具の使い方、力加減、タイミングといった目に見える道具の使い方だけでなく、見た目には分からない他の何かについても、暗黙知のパターンとしてデータの中から見つけ出し、再現してくれるかもしれません。ディープラーニングは、見た目には分からない、あるいは気付くことの難しいパターンを、人間が特徴量(分析データの特徴を定量的に表現したもの)を教えなくてもデータを分析することで自ら見つけ出し、そのパターンを教えてくれるところが、画期的なところです。
このように、ナレッジマネジメントはディープラーニングの発達・普及によって、ビジネス上も進化を遂げる可能性があります。
(2)知識創造経営とOJT
知識創造経営とは、企業が個々人の持つナレッジを企業全体の知的資産として組織的に共有・活用することによって、イノベーションを生み優れた商品や価値を提供していくことです。単なる情報管理ではなく組織的な知識創造経営を実現することが大切です。
そのためには、個々人の持つ暗黙知およびナレッジを組織的に活用する仕組みを構築することが課題になります。前述したグループウェアやAIにも眼を向けるとともに、従業員への日常的な指導・訓練、すなわちOJTが重要です。ナレッジマネジメントのベースはOJTとなります。
言語化できないから伝えられず、伝えられないから継承できないといった問題に対処するためには、ナレッジを引き継ぎたい人に対してOJTを実施するのが、やはり一番の近道です。「技術は見て盗め」的な職人教育は、スピードを求められている時代では効率的でありません。
最低限のマニュアルの整備などで、まだ言語化していない暗黙知を形式知にする一方、言語化ができない暗黙知=身体知をOJTで直接的に伝える必要があります。
また、形式知になった汎用的なスキル・ノウハウは、場合によっては集合研修で集中して習得するのも効果があります。
<最後に>
ナレッジマネジメントの手法を組織に取り入れていただくことで、効率的な後進の育成や情報共有、共有化した情報を使って新たな「知」の創造を行うなど、様々なメリットが見込めます。
SECIモデルのプロセスの全社的実践、現場で役立つマニュアル作りによる仕事の仕組みの標準化・品質維持など、具体的な取り組みにより業務改善やイノベーションを促し、更なる組織力向上を実現しましょう。