9月下旬まだ暑い。蛇口から出る水が温かくてレタスを洗うのに躊躇する。氷水にくぐらせれば済むのだが、その氷もすぐに解ける。今年はいつになく電子レンジを多用し、いつになく氷を消費した。電気で物を温め冷やすことも温暖化につながるが、もうやめられない。
子どもの頃、実家に井戸があり、夏は桶に井戸水を張ってスイカや飲み物を冷やした。キンキンという訳ではないが、充分冷たかった気がする。
程なく台所に木製の冷蔵庫が入った。家庭用の木製冷蔵庫の多くは、2段に分かれた扉がついていて、内側は保冷効果を上げるためブリキ(鉄板に錫をメッキした薄い鋼板)が張られていた。上の氷室に氷の塊を入れ、その冷気で下の収納室に入れた物を冷やす構造だった。
毎日、筵をかぶせた大きな氷を積んだリヤカーを自転車につなげて氷屋さんが来た。1貫目とか2貫目とか予約通りに大きなのこぎりで氷を切り、大きな氷挟みで挟んで冷蔵庫まで届けてくれる。シャキシャキ涼しげな音が聞こえると、「アッ、氷屋さんだ」と、なんだか涼しさを運んでくれる人のようで嬉しく、うきうき迎えに出た。氷の切りくずを手にすくうと、冷たい感触が一層楽しかった。
氷の冷蔵庫は、今でも冷え加減に角がなく食品が乾燥しにくい、として使う料理店が少なくないらしい。子ども心にも、氷の塊を氷割り(アイスピック)で砕いて麦茶やジュースに入れてもらうと、カラカランという音がして普段よりも素敵な飲み物になるような気がした。
■かき氷
小さい時、伯母の子どもたちと私は仲が良く、夏休み・冬休み・春休みと始終一緒に過ごした。叔父は若いころから子ども好きで可愛がってくれたので、みんなも叔父が大好きだった。
タバコの空き箱で小さなハンドバッグや、道具を揃えてカルメ焼き、竹馬を作ってくれた。自転車の乗り方、凧の作り方を教えてくれた。母たちが一緒だったこともあるが、叔父と子どもたちだけで海や山へも行った。出かける時、母が「変な物を食べさせないでね」と言うと、「分かってるよ」と叔父は答えたが、子どもたちは変なものが食べられることを知っていて喜んだ。叔父以外の保護者が一緒だと、子どもたちは色付きの物を食べられなかった。かき氷は、透明な砂糖シロップをかけた「スイ」か「あずき」「ミルク」だけだった。でも、叔父は毒々しい真っ赤な「イチゴ」派手な緑の「メロン」や不自然に黄色い「レモン」を選ぶことを許してくれた。子供たちは変なものが大好きだったので、色に染まった舌を互いに見せ合って、笑い転げた。今は贅沢でおしゃれなかき氷を通年食べられる専門店があるが、海辺や河原で食べた舌が染まるかき氷の味が格別に懐かしい。
その後、成長するにつれ、叔父に遊んでもらうこともなくなり、イトコ達もそれぞれ常識的なものを食べるようになった。仕事をするようになると、完全に世の中の味覚に馴染んだ。
■氷の切り口
仕事も慣れたころに、硬派な印象の文化人がビールに氷を入れて飲む、と話したのを聞いて怪訝に思った。(え~っ?ビールはビールで完結した味なのだから、ウィスキーのようにロックや水割りで時間経過を楽しめないんじゃない?)賛同できないまま忘れた話題だった。
ほんの数年前、暑い日に疲れて帰宅すると、冷蔵庫にビールを入れ忘れていたことに気づいた。(が~ん!最悪。どうしよう)困ったときに、突然脳の片隅から(そういえば)ビールに氷の話を思い出した。そうか、仕方ない。試しにやってみようと思ったら.........あらら、意外においしかった。普段、アンコンシャスバイアスだの、クリティカルだの口にしているが、固定概念を排除していないのは私だったのかと反省した。が、私と同じような経験をした人がいるのかも知れない。最近氷を入れて飲むための専用ビールが開発されて売り出された。(ふむ、買ってみようかな)
暑さや渇きのせいだけでなく、かくも人間はいい加減な生き物なのだ。だからやっぱり、生卵を立てたコロンブスや、極北に暮らすイヌイットに冷蔵庫を売った伝説のセールスマンの切り口は、すごいのだ。
2023年9月22日 (金) 銀子