■奈良時代の休暇の規定
現在も労働基準法などの労働者条件を定めた法律がありますが、奈良時代にも、すでに役人の休暇の規定を定めた「仮寧令」(けにょうりょう)という法律が設けられていました。
その規定によると、役人には6日ごとに1日の休みがあり、さらに5月と7月の農繁期には、「田暇」(でんか)という田植え・収穫のための休暇が別途定められていました(1度にみんなが休むと大変なので、2組に分かれて15日ずつの休暇を取る)。
また、身内に不幸があった場合にも、現在の忌引と同じように服喪の休暇が定められていました(父母の場合は、現在の仕事を辞めて、喪に服す。祖父母(父方)、外祖父母(母方)などは30日の服喪期間など)。
■下級役人の労働環境
一般的な休暇の規定は以上のようなものですが、それでは、当時の役人=サラリーマンが臨時に休暇を取る場合は、どのような理由で休んでいたのでしょうか?
奈良時代には、たくさんの写経がつくられていましたが、それに従事していた下級役人たちの「請暇解」(しょうかげ)と呼ばれる休暇届が現代に残っています。
写経に参加した役人達は、長時間、同じ姿勢で座りっぱなしであったため、足の病気や腰痛などの理由で欠勤する役人が多かったようです。また衛生環境も悪かったようで、腹痛や赤痢などの消化器系の病気で休む役人も多くいました。
写経事業の仕事場の労働環境は本当に悪かったようで、役人たちから労働環境の改善要求が出ることもありました。
4箇条にわたるその要求の中身は、
・以前に支給された衣服が汚れていたんでおり、洗ってもなお臭い。新しいものに変えてほしい
・毎月5日間は休みがほしい
・食事が粗悪である。黒飯ばかりではいやだ(白米が食べたい!)
・案机(つくえ)に座り続けているため、胸が痛く脚がしびれる。3日に1度は酒を支給してほしい(酒を飲まずにやってられるか!)
というようなものになっています。どれも納得できるものですが、特に一番最後のものに大きく頷けます。