《第1話》「新人が営業トップになる方法と異性が多い現場でのマネジメント」
インソース講師・森義隆氏インタビュー【1】
《第1話》「新人が同期で営業トップになる方法と異性が多い現場でのマネジメント」
- 目次
営業成績トップになるには~よーいどんの前にできること
―――まずは新入社員として入社されてから、どのようなお仕事をされてきたかというお話から聞かせていただければと思います。
私は東京の保険会社に入社しましたが、まず1年間、営業担当として仕事を行いました。その1年間の営業成績と理論科目の試験結果が同期の中で一番よかったため、希望の部署に行かせてもらうことになり、本社配属になりました。
―――同期で営業成績トップになったとのことですが、どのようなことをしたのでしょうか?
同期は飛び込み営業を盛んにしていました。しかし私は出身が京都だったので、東京出身の同期と同じように東京で飛び込み営業をしても圧倒的に不利だと思い、飛び込み営業はほとんどしませんでした。
その代わり、友人に頼んでお客様を紹介してもらい、その紹介先を回って契約を取りました。内定が出た10月1日の段階で営業をすることがわかっていたので、11月から3月の間はすでに紹介先への営業活動を行っていました。
そして、入社前の活動で溜め込んだ50から60件の契約を、5月6月にいっぺんに出しました。そうすると同期はもう追いかける気力がなくなる(笑)。
―――スタートダッシュですね。
はい、あとは紹介先に頼んで、さらに紹介営業を拡大していきました。実際に鞄を持って営業活動をやったのはそのときだけですが、期間が限られた中で、「よーいどん」で人と同じことをやっていたら、同期に勝てなかったと思います。
異性が多い現場でのマネジメント~女性営業が気持ちよく働ける職場環境
―――続いて2年目以降のお話を聞かせていただけますでしょうか。
1年間営業をしたあと、本社の企業保険管理部というところに行きました。その後2年間、大阪と鳥取で営業所長として、個人保険の営業責任者のようなことをしました。
30人ぐらいから最大130人の女性営業が「この所長のためなら保険を取ってあげよう」と思ってくれるような職場環境を作るのが仕事です。表立った仕事は、業務知識を指導したり、営業訪問する企業を開拓したりすることでしたが、実は裏方として女性営業のケアを行うことがメインでした。
いろんな環境の方がいらっしゃいましたから、単純に上司と部下の関係というよりは、プライベートなところまで相談に乗るなど、かなり深い部分まで入り込まなければなりませんでした。お子さんの受験の合格発表にまで一緒に行ったこともあります。
やりすぎと思われるかもしれませんが、営業所には代々の慣例が色濃く残っていました。彼女たちに親身にならなかったら「前任の所長はいろいろしてくれたのに、今度の所長は冷たい」と言われてしまうなど、非常にデリケートです。金融機関本社のいわゆるエリートが、そこにぽんと行かされたら、カルチャーショックを受けるでしょうね。
―――森さんはスムーズにその世界に入っていけたんですか?
最初はすごく衝撃を受けました。営業所の責任者になったばかりの28・9歳の頃、大失敗したことがあります。営業成績トップの女性営業を慰労するパーティでの出来事です。
地元の最高級ホテルで、歌手なども呼んで行う営業所の一大イベントなのですが、ベテラン女性営業の方に「ダンスを踊ろう」と言われました。しかし、当時、私はまだ新婚だったこともあり、腰が引けてしまいまして...。
その姿に、その方は「あの所長はなんだ」とお怒りになり、さらにその話が常務の耳に入ってしまい...。そういう苦労はしました。
このような経験を通して、こと女性の多い職場では、公平に接することの難しさを知りました。こちらがいくら公平にやっているつもりでも、それを受け止める相手がそう思わないこともあります。本当に公平感を持っていただくためには、一人ひとりを特別扱いするくらいの姿勢で、全員と接する必要がありました。
また、職場は年齢構成も多様で、一番下は私と同じ20代から、一番上は80代の方までいらっしゃいましたから、20代の女性とばかりしゃべっていると「なんだあいつは」となります(笑)。誰がキーパーソンかを考えるなど、一年ぐらい経って、やっと女性の職場のマネジメントをできるようになりました。
(つづく)
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