「残暑お見舞い申し上げます」 気候変動や社会活動のスピード化などのせいか、季節見舞いや贈答儀礼などが少なくなっている。しかし、負担になる儀礼を排することと、人としての礼儀を失することは違う。
フリーランスの制作者として50年ほど仕事をした。外注として大小さまざまな組織、職種、人間関係を多数見聞きしてきた。手本にすべきことも多かったが、個人の無礼が企業の信用を左右することも学んだ。
「約束の時刻に行くといつも待たされる企業があった。最初は多少だったが、何回目からか大きくルーズになってきた。あるとき、待ち時間は1時間を超したが「仕事だもの、いろいろな状況があるだろう」と、もちろん私は待った。2回目の打合せは無理のない時間設定をお願いしたが、また1時間待たされた。「たまたま、こんなこともあるかもしれない」ので待った。しかしその時、パーティションの向こうで社長の声が聞こえた。
「待たせとけばいいよ。大丈夫、大丈夫」
(大丈夫じゃないわよ。私の時間を私物化しないでほしい。人の時間を尊重できない人は、自分の時間もコントロールできない人に違いない。この企業を信用していいんだろうか)
3回目、その日の打合せは約30分で終わる予定だったが、待ち時間は30分を超していた。そこで丁重に「別の打合せが迫っているので失礼します。ご用の節は改めてお呼びください」と伝えて帰った。本当は、次の用事なんて無いし、このまま仕事を失うかも知れないけれど、それでもいい。顧客を甘やかしてはいけない。
その後も何回かニコニコしながら「次があるので帰ります」を繰り返した。次第に待ち時間は短くなり、私の目の前で社長は社員に「こちらは、お忙しくて時間に厳しい方だから、間違いのないように頼むよ」などと、少しの皮肉が入った冗談を言うようになった。そして、少なくとも私との打合せ時刻に社長が遅れることは無くなった。
平気で待たせる発注者と、長々待ち続ける受注者の関係ではなく、ようやく対等な仕事相手としてスタートラインに立てたような気がした。時間厳守によって、私は無駄な時間が削れて良かったし、社長にとっても社会の通念は外注にも当てはまることが認識できて良かったのではないかと思った。
一般に「顧客教育」とは顧客に対する「商品やサービスについての考え方や選択の啓蒙、レクチャー、促進など」を指す。しかし僭越ながら「顧客しつけ」として、勇気をもって社会的な礼儀を伝える努力をすることも、顧客への誠意ある姿勢だと私は思う。それを可能にするためには、まず自分が約束の時刻や納期をたがえてはならないし、先方が自らの悪癖を修正してでも発注したいと思う仕事を納めなければならない。
後年、ある企業のトップ営業パーソンにインタビューする機会があった。「顧客には誠実に対するが、必要以上のご機嫌取りはしない」と言っていた。
わが意を得たり、私は間違っていなかった。人それぞれの状況や環境がある。業界・業態が違うなど、誰にでも当てはまることではなく、誰にでも勧められる考え方ではないのだけれど。大企業でも、個人の外注でも、崩せない一線は同じであることがわかってホッとした。
ルーズな流儀に同調すればルーズな仕事しか来ない。約50年前、外注ハラスメントが珍しくなかった時代。自分の信念を頼りにしなければ、不安定ゆえに人の言いなりになりがちなフリーランスの仕事を、きちんと維持することは難しかった。
仕事はフラットな合意の上で始まるはず。上下で仕事をしてはいけない。一寸の外注には、一寸のプライドがあるのだ。
2019年 4月 24日 (水) 銀子